東京地方裁判所 平成5年(ワ)15771号 判決 1997年10月24日
原告
井上幸子
右訴訟代理人弁護士
山田和男
被告
上野基
外一三名
右一四名訴訟代理人弁護士
板東司朗
同
板東規子
同
池田紳
同
石田香苗
主文
一 横浜地方法務局所属公証人小川昭二郎作成に係る平成四年第六一九号遺言公正証書による井上泰代の遺言が無効であることを確認する。
二 訴訟費用は、被告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
主文と同じ。
第二 事案の概要
一 争いのない事実等(証拠によって認定した事実は、証拠を掲記する。)
1 被告らは、別紙関係人図記載のとおり平成四年九月一五日に死亡した井上泰代の弟、妹、甥又は姪であり、泰代の法定相続人である。
2 原告は、昭和二九年一二月三日に泰代と養子縁組をし、平成四年五月一二日に離縁をした者である。
3 泰代は、平成四年五月五日、すべての遺産を原告に遺贈する旨の自筆による遺言をした(甲一号証の2、3)。
4 泰代は、平成四年五月二二日、その嘱託による東京法務局所属公証人宇野榮一郎作成に係る平成四年第二九七号遺言公正証書により、すべての財産を包括して原告に遺贈する旨の遺言をした(以下「第一遺言」という。)。
5 泰代は、平成四年八月二八日、その嘱託による横浜地方法務局所属公証人小川昭二郎作成に係る平成四年第六一九号遺言公正証書により、第一遺言を取り消す旨の遺言をした(以下「本件遺言」という。)。
二 争点
本件の争点は、本件遺言がされた平成四年八月二八日当時、泰代が老人性痴呆により意思無能力の常況にあったかどうかの点にある。
第三 判断
一 後記各証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
1 泰代は、平成四年八月七日に麻生病院に入院し、同年九月一五日に九四歳で死亡した者であるが、同人の担当医であった同病院の北原武医師は、泰代の入院時の所見にかんがみ、同年八月一〇日、泰代の痴呆について調べるために頭部CT検査を実施したところ、同人には脳梗塞の所見が認められ、さらに、本件遺言がされた八日後である同年九月五日には、泰代は多発性脳梗塞により意識不明の状態となった(甲二四、乙二六、証人北原武)。
2 泰代は、平成四年六月ころから八月にかけて、自分の財産の管理についての意向を以下のように、次々と変更している。
(一) 六月一六日、泰代の自宅において、宮下啓子弁護士に対し、姪である山田愛衣の自宅に預けてある泰代の貯金通帳等の返還請求をしてくれるように依頼し、同月一八日にも、宮下弁護士に同旨の依頼をした(甲一六、証人宮下啓子)。
(二) 六月二一日、宮下弁護士は、財産管理に関する泰代の意思を確認するために、被告上野基、山田愛衣、朝彦夫妻を同行して、泰代の自宅を訪れたところ、泰代は、明確な意思を示さないで自室に引きこもったあげく、基に財産管理をゆだねたいとの意向を示した(甲一六、乙一〇の1、3、三七、証人宮下、同山田愛衣)。それにもかかわらず、その日のうちに、被告上野基に対し、預けてある預金通帳等は、すべて返してもらって自分で管理したいとの趣旨の手紙を書き(甲一二、乙三八)、さらに、六月三〇日付で、同被告に対し、同被告に対する委任を解消し、財産の管理は自分でするので、預金通帳等を返還して欲しい旨の手紙を書いた(甲一三)。そして、宮下弁護士に対しては、同月二三日付けで、失礼を詫びる趣旨の手紙を書いた(甲一一)。
(三) 七月一九日、泰代は、自宅に宮下弁護士及び社会福祉法人慈生会(泰代は、戦前、戦後を通じて同会の設立、発展に寄与していた。)の福島和夫事務長を招き、泰代の財産の管理に関し、普通預金を除くすべての財産の管理を慈生会にしてもらう、泰代の弟妹が自由に管理できないようにするために第三者に依頼するなどの記載がされた「泰代今後の生活に就いて」と題する文書(甲一五)の写しを、福島事務長に交付した(甲一六、証人宮下)。なお、そのころまでに、原告は、泰代に対し、被告上野基に泰代所有のもの一切を預けているのは不都合であること、身内の者よりも第三者(最終的にお世話になる慈生会)の組織にすべてをまかせた方が争いごとを解消できるなどを指摘し、一切を慈生会にまかせることを被告上野基、福島事務長、宮下弁護士の前で宣言すべきであるとの趣旨のメモ書きを泰代に渡していた(乙一一、原告本人)。
(四) 「泰代今後の生活に就いて」と題する文書(甲一五)の写しを受け取った慈生会の福島事務長は、七月二九日、同会の顧問弁護士である立石弁護士を同行して、泰代の意思を確認するために泰代の自宅を訪れた。偶然にその場に居合せた被告和泉和子、山田愛衣が同席する中で、立石弁護士は、同月一九日に泰代が福島事務長に交付した「泰代今後の生活に就いて」と題する文書(甲一五)の写しを読み上げるなどして泰代の意思を確認しようとしたが、その場は、同弁護士が、被告和泉和子に対して、泰代に答えを無理強いしたり、決めつけたりしないように注意をし、同被告の発言を制止しなければならないような状況となり、そのような状況の下で、泰代は何を書いたか忘れたとか、もう一度よく読んで書き直して立石弁護士に見てもらいたいなどと発言するだけであった。そして、福島事務長及び立石弁護士は、被告和泉和子及び山田愛衣に強く要求されて泰代の自宅から退出することになった(乙二〇)。しかし、泰代は、同日付けで、立石弁護士に対し、同弁護士が来訪してくれた際の非札を詫び、同日、立石弁護士が読み上げたものが自分の意思によるものである旨の手紙を書いた(甲二三の1から4)。
(五) 泰代は、七月三〇日から被告堀井正子宅に滞在するようになったが、八月二日、同被告宅で親族会議が開かれ、その後、泰代は、同日付けで、宮下弁護士に対し、財産管理は弟妹と相談し被告上野基に一任することに決定した旨の手紙を書くとともに(乙一五)、福島事務長に対し、「泰代今後の生活に就いて」と題する文書は原告に強制されて書いたもので後悔していること、同文書による依頼はすべて解消すること、財産の管理は被告上野基に一任することにしたことなどを記載した手紙を書き(乙一三)、その上、同趣旨の内容証明郵便を発送した(乙一四の1、2)。
二 老人に見られる痴呆は、脳血管性痴呆とアルツハイマー型痴呆に大別することができるところ(証人北原)、右一の1に認定したように、泰代は、本件遺言をした当時、九四歳という高齢で、既にCT検査により脳血管障害(脳梗塞)の他覚的所見が認められていたことが明らかである上、右一の2の(一)から(五)に認定した事実経過にかんがみると、遅くとも平成四年六月以後においては、泰代は、周囲の者の言動に迎合し、周囲の者の意見に従って、自分の財産の管理に関する意思表示を次々と変更し、その旨の文書や手紙の作成を繰り返していたものといわざるを得ない。以上の事実関係に加え、泰代の主治医である北原医師が、泰代には、麻生病院に入院した当初から明らかな痴呆が認められ、本件遺言がされた平成四年八月二八日当時、自分の置かれている状況の判断がつかず、日常会話や文字を書くことは可能であったとしても、遺言書を作成することは不可能であったと思われるとの趣旨の意見を述べていること(甲三の5、二四)を考慮すると、泰代は、平成四年八月二八日の時点においては、周囲の者の指示に従って文字を書く能力は有していたものの、自らの行為の意味と結果を認識し、自らの意思によっていかなる行為をすべきであるのかの判断をする能力を失っていたものと認めるのが相当である。
本件遺言は、横浜地方法務局公証人小川昭二郎に嘱託し、同公証人が、麻生病院に入院中の泰代のもとを訪れて、その意思を確認して作成されたものではあるが、証人板東司朗、同山田愛衣の証言によれば、(1) 本件遺言書の作成については、同弁護士が、山田愛衣から依頼を受けて小川公証人に依頼したこと、(2) 板東弁護士は、山田愛衣から聞き取った話と第一遺言を取消しにする旨の泰代の手紙(乙一六)を山田愛衣を介して受領したことによって泰代に本件遺言の意思があると判断したものであって、本件遺言に先だって、泰代に面会して、その意思を確認したことはなかったこと、(3) 板東弁護士は、本件遺言に先立ち、公証人役場に出向いて小川公証人と面会し、あらかじめ本件遺言の文案を作成した上で、小川公証人を伴って麻生病院に赴いたこと、(4) 小川公証人が泰代の病室を訪れた際、泰代は睡眠中であったが、病室に居た山田愛衣に起こされて公正証書の作成手続がされたこと、(5) 小川公証人が泰代の病室に入室してから退室するまでの時間は一五分程度であったことが認められるのであって、右(1)から(5)の事実、特に、小川公証人が弁護士を通じて本件公正証書の作成を依頼されたことや泰代の意思確認に要した時間に照らすと、同公証人は、泰代の意思能力の有無について十分に意を用いて確認した上で、本件遺言書を作成したものとは認め難いものといわざるを得ず、本件遺言が公正証書によってされていることをもってしても、これがされた当時の泰代の意思能力に関する前記認定を左右するには足りない。
以上によれば、本件遺言がされた当時、泰代は意思能力を欠いていたものと認めるよりほかはなく、この認定に反する趣旨の証人山田愛衣及び同板東司朗の供述部分は、以上に認定事実関係に照らし、採用することができない。
三 したがって、原告の請求は理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官綿引万里子)
別紙<省略>